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礼拝メッセージ
『主にある平安』船田肖二師
八月に入ると、広島・長崎の原爆記念日や終戦記念日など、平和について考える機会が多くあります。それでなくても、コロナは依然猛威をふるっており、世界の国々の関係も緊張し、国内も地震だけでなく大雨による被害も多発しています。そんな中わたしたちも、いろいろな場面で覚悟と決断を求められます。 -
礼拝メッセージ
『主に求める叫び』船田肖二師
コロナの感染拡大により、行動の制限が余儀なくされている方も、多くなってきています。対策を講じて行動する人も、自粛する人も、それぞれに難しい判断を求められます。時には混乱してしまったり、後悔することもあるでしょう。けれどもわたしたちが、主を信頼していくならば、その主によって希望を持ち、主の平安の中に生きることができます。ティマイの子バルティマイは、目が見えないことによる苦しみを持っていました。けれどもイエスがおられることを知った時、彼はイエスを求めて叫びました。周囲の人々が黙らせようとしても、叫び続けたのです。その声は主に届き、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられます。彼は自分の思いを伝え、主は「・・・あなたの信仰があなたを救いました」と、彼に癒しと自由を与えられます。 -
礼拝メッセージ
『一杯の水の報い』船田肖二師
イエス・キリストは、弟子たちと共に過ごした公の生涯の中で、生きた神と交わる姿を見せると共に、神の力ある業の大きさ、広さを示されました。 -
礼拝メッセージ
『主を知ることの恵み』船田肖二師
今年も半分が過ぎましたが、身近な課題と共に、世界のいたるところで起こっている様々な悲しみは、わたしたちの心に不安を与えます。けれども、この世と、この世のものが過ぎ去ることを知る時、この世で何を行い、何を得たかではなく、創り主である神を知り、永遠の希望に生きているかどうかが問われていることを知るのです。 -
礼拝メッセージ
『神にはできる、と信じる』船田肖二師
わたしたちに与えられている 神による祝福の約束は、受け取るわたしたちの信仰によってその恵みは変わってきます。約束がどんなに素晴らしいものであっても、受け止められなければ、平安も喜びも得ることはできません。また、神が共におられることを信じていても、神の力を否定していては真の恵みにあずかることはできません。だからこそ、わたしたちが自由と喜びに満ちた、神と共なる生涯を生きるために、イエス・キリストを通して神を知り、自分を知り、その救いの大きさを体験していくことが必要となるのです。 -
礼拝メッセージ
『イエスの名を信じる信仰』船田肖二師
神は、祈り待ち望んでいた弟子たちに、約束の恵み、すなわち力を与えられました。弟子たちは、知恵や熱心ではなく、主が共にいてくださることを実感し、それによって与えられた平安を土台として立ち上がり、新しい一歩を踏み出すことができたのです。 -
礼拝メッセージ
『聖霊による力』船田肖二師
今日は、主が約束しておられた聖霊が、弟子たちに注がれたことを記念する、「聖霊降臨日(ペンテコステ)」の礼拝です。十字架にかかられた主がよみがえられた喜びとは裏腹に、天に帰られた主によって、弟子たちの心は不安と恐れでいっぱいでした。けれども復活された主の、「エルサレムを離れないで・・・父の約束を待ちなさい。」との言葉を信じて、彼らは祈り待ち望みました。 -
礼拝メッセージ
『愛の心をもって』船田肖二師
わたしたちの生きている世界はなんと広く、多くの人で満ちていることでしょう。 その一人一人が、それぞれの人生を一生懸命生きています。また同時にわたしたちは、いろいろな人とつながって生かされています。そこには、様々な価値観があると同時に、生きていくために、人を押しのけたり、時には捨てられたり、いろいろな犠牲を払うことによって、命をつないでいるのです。その人が生まれた時代や国、置かれた環境や経験したことによって、その人の生き方は大きく変わってきます。 -
礼拝メッセージ
『永遠に続くもの』船田肖二師
着しています。聖書のみ言葉と、与えられた言葉への応答、決断とチャレンジが、信仰によって繋がり今に至っています。私たちも主と出会い、信仰によって望みに生きることの大切さを知りました。けれども現実の世界は、私たちの信仰の目を曇らせ、すぐに失望へと導こうとします。だからこそ、見えなくても共にいて下さり、平安を与え、私たちに自由を与えてくださる主を日々体験することが必要なのです。
