ごあいさつ

ごあいさつ 宮崎 星人(みやざき ほしと)牧師

初めまして、宮崎星人と申します。

2026年4月より、棚倉教会の牧師の働きをしています。
奇しくも福島県は私の母が若き日に牧師の働きをしていた地で、とても良い所と言っていた福島県に思いがけず遣わされることになりました。

この棚倉の地で神様が出会わせて下さる、お一人お一人との出会いを大切にして参りたいと思います。教会に来て、誰もがホッとするような、暖かな教会で在り続けたいと願っています。

私の趣味はスポーツ、温泉、アニメ鑑賞などです。ギターを弾くのも好きです。色々な形で交わりの時をもって、また聖書にある神様との交わりの時を共にもっていきたいです。

もし良ければ一度も教会に行ったことのない人も、いま行きたいけどなかなか足を踏み入れない人も、一度、教会へお越しください。わからないことやご不安なこと等ございましたら、ご連絡ください。

自己紹介

生年月日 1995年8月8日生まれ
出身教会 日本イエス・キリスト教団阿南教会
学歴 鳴門教育大学大学教育学部卒、関西聖書神学校2026年3月卒
職歴 大学時、アルバイト多数。企業に2年務め、兵庫県にある関西聖書神学校に4年学び、2026年4月より伝道師、牧師。

主管牧師 船田肖二(ふなだ しょうじ)牧師

船田肖二(しょうじ)牧師は、棚倉教会の責任者で、白河栄光教会の牧師をしています。

隔月で棚倉教会に来て、礼拝メッセージをしています。
京都府京都市生まれ。関西聖書神学校卒業後、京都聖徒教会で2年、鎌倉深沢教会で12年、2004年より白河栄光教会の牧師をしています。
神学校へ行く前は、リハビリセンターに勤務し、皆でするゲームを教えるのが得意です。震災前から東北で牧師をし、東北の復興を見守り続けて来ています。

船田ゆう子師は、船田肖二牧師の妻です。

私が教会に来たキッカケ

M.Iさん(30代 男性)

私の生まれた家は両親が教会で出会って結婚したクリスチャンホームでした。

小さい頃は母に連れられて日曜礼拝に行って、午後は買い物について行ってクリームソーダなどを飲むというのが毎週日曜日の私の生活パターンでした。

そのころ喜多方待望教会では文語訳聖書を使っていましたから、大人たちは、汝(なんじ)、汝等(なんじら)と何度も何度も言うので、教会の人は何時?何時?と時間をよく気にするのだなと思っていました。大人になった今では汝、汝等があなた、あなたたちという意味であるということを知っています。

初めてギターの音色を実際聞いたのも教会でした。その当時いた独身の若い伝道に熱心な先生がよくギターを弾いていました。それを聞いた時、ギターの音色ってお腹に響くいい音がすると感じました。そのことを今でも覚えています。

しかし、小学校中学年になると教会に行かなくなりました。教会ではためになるお話が聞けることはわかっていて、もちろん、害などないのですが、小学校中学年の私には他にやりたいことがあり毎週教会に行き続ける強い理由が見いだせなかったのです。

教会に行かなくなってからは、神様という存在についてぼんやり考える年月が過ぎていきました。

私は子供の頃から科学が好きでした。宇宙がどのような秩序で動いているか、宇宙の終わりはどのようなものか。逆に宇宙の始まりはどうであったのかが気になっていました。

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Sさん(60代 女性)

高校に入学すると、成績もどんぐりの背比べ。私は自分の中に「特別なもの」がほしいと願うようになりました。そして中学時代に読んだ小説『塩狩峠』の主人公のことを思い出しました。彼の価値観が自分とはまるで違うことに引かれたことを。電話帳で探し、教会があることを知って電話し、幼なじみと二人で初めて来たのがこの教会です。神様、イエス様に関心があったわけではありません。でも神様は私を、生まれる前から招き続けて下さっていたのです。教会生活、洗礼、就職、病、親からの自立、結婚、子育て…私が神様の赦しの愛を知ったのは、それから40年近く先のことです。

聖書に「裁いてはならない」と言われたイエス様の言葉が書かれています。私は、一番尊敬する人に対して、憤りを抱くようになった時、何とかこの言葉を守ろうと何度も何度も試みました。しかしどうしても「裁く」ことをやめられず、ギブアップしました。その時初めて、イエス様が十字架で許してくださったのは、この「裁くな」と言われても「裁かないでいられない」私のことなのだと知りました。神様はこんな私を愛して下さっていることを知りました。神様は「こうありたい、こうあってほしい。」と願う私に、そうできない自分や人を、認め(受け入れ、赦)させて下さり、そういう私や人を、神様の一人子なるイエス様を私たちの代わりに裁いて、私達を赦し、永遠に共にいて下さるほどに愛して下さっていることを受け取らせて下さいました。

『塩狩峠』の主人公も、「あなたの隣り人を愛しなさい。」という聖書の言葉を同僚に実行しようとした時、できない自分に直面します。そして自分こそイエス様の救いを必要としているものだと告白するのです。

それまで「神様が私達に望んでおられるのは、神様の言葉を実行すること」だと私は思ってきました。でも今は、「神様の言葉を実行できない自分や人を認め(赦し)て、そんな私達を愛して下さっている神様と愛し合うこと」を神様は望んでおられると思っています。「私と愛し合おう」と神様は望み、すべてのことを通して、そのように私達を変えて下さると、信じています。

私が教会に行く前にのぞんだ「特別なもの」を、神様はちゃんと私に下さいました。下さっていることに気づかせて、受け取らせて下さいました。それはイエス様です!