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礼拝メッセージ
8/25礼拝
暑い日が続いています。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。飛び込んでくるのは酷暑や台風、地震のニュースであり、世界各地で起こっている紛争や災害のニュースも、将来に対するわたしたちの不安を増大させます。またどの国においても、いろいろな考えの人がおり、だれがリーダーになるかは人々の大きな関心事であり現実の課題です。そのような中、神を知っているわたしたちに与えられている主にある使命、その働きはどこにあるのでしょうか。 -
礼拝メッセージ
6/16礼拝
わたしたちの日常は、その時代、置かれた場所によって異なっています。神の前の礼拝や信仰の歩みも、枠組みや見た目において異なってくるのは、当然のことです。例えば、病や事故によって特別の環境に置かれた時、あるいは、国や家を失い、いまいる所から出ていかなければならなくなった時、わたしたちは今までとは違う信仰の歩みを経験することになるでしょう。 -
礼拝メッセージ
3/31礼拝
キリスト教の暦中で、もっとも重要なイースターですが、ここには、キリスト教の真髄が詰まっています。 1.神に、自発的にゆだねる 十字架上の最後の言葉から、信仰者の究極の姿勢が伝わってきます。教えとして書かれているからではなく、誰かに言われたからでもなく、自発的に神にゆだねることが、イエスが示した信仰者の姿です。神は聖書を通して、人がそのようになることを願っていると伝えています。そして、信じるものがそう成れるように、イエスは十字架の苦しみを受け、自発的にご自身を神の手にゆだねました。 -
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3/17礼拝
十字架につけられたイエスの話を理解するのには前提となる知識があります。一つは、イエスは無罪であること。ローマの法律(国の秩序)と、ユダヤの法律(宗教的)のどちらも、犯していませんでした。二つ目は、この出来事は過越し祭り中のことであり、イエスは過越しのいけにえとして十字架につけられたということです。過越しとは、出エジプト記12章に書かれていますが、エジプトにさばきが下るとき、いけにえの血を門柱と鴨居に塗ったイスラエル人のところは、神が過越し、さばきを逃れたということです。イエスは、人を神のさばきから救うため、いけにえとなりました。 -
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10/22礼拝
主の祈りは、キリスト教の小さな学校と言われています。今日において、情報に埋もれて、祈りを軽んじていても気が付かずに過ごしている私たちの現実があるのではないでしょうか。自己中心な私たちに「主の祈り」こそが自分勝手な祈りになってしまうことから守ってくれます。主の祈りを通して、どのような神さまがわたしたちの祈りの前に立ってくださるのかを知るのです。 -
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9/17礼拝
イエス様はこのたとえ話を通して神様と私たち人間についての関係についてお話をされました。この中に出てくる父は神様のこと。そして息子は私たち人間のことと考えていただけるでしょう。このお話を通して描かれていることは・・・ -
礼拝メッセージ
『クリスマスの喜び』船田肖二師
今年のクリスマス礼拝は25日で、今年最後の年末感謝礼拝ともなります。コロナが始まって三年、今年は、冬季オリンピックのさなかにロシアのウクライナ侵攻が始まり、いろいろな意味で、世界が大きく動いた年でした。今までも、紛争は絶えることがありませんでしたが、今年経験した出来事は、人の知恵や力では、どうすることもできない激流となって、今も世界中の人々の生活に影響を及ぼし続けています。 -
礼拝メッセージ
『降誕の足音』石﨑善土師
私たちが待ち侘びているクリスマスが、日に日に近づいて来ています。イエス降誕のときも、待ち詫びている人たちがいました。 ザカリヤに約束された子、バプテスマのヨハネは、「イエスの御前を先立って行くもの」、イエスが近付いてくる足音でしたが、誕生の預言のときからそのようになっていました。ヨハネが生まれることは、救い主が間もなく降誕することを意味しました。それを知ったザカリヤの口からは希望に満ちた賛歌が溢れ出し、「このことは、主の深いあわれみによる」と預言しました。 -
礼拝メッセージ
『共にいてくださる主の恵み』船田肖二師
生きていると、自分ではどうすることもできない現実に直面することがあります。それは自然災害であったり、国や個人の争いであったり、また思いがけない事故や突然の病であったりします。多くの場合は、それが自分でなければ気にもせず、心配することはあってもすぐに忘れてしまいます。
