2024年度 No.33

『種蒔きのたとえ』船田肖二師

ルカの福音書8章5~8節

…「種をまく人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。また、別の種は岩の上に落ちた。成長したが、水分がなかったので枯れてしまった。また、別の種は茨の真ん中に落ちた。すると、茨も一緒に生え出てふさいでしまった。また、別の種は良い地に落ち、成長して百倍の実を結んだ。」イエスはこれらのことを話しながら、大声で言われた。「聞く耳のあるものは聞きなさい。」…

メッセージ要約

 イエス・キリストの語られた種蒔きのたとえは、誰でも読めば理解し納得できるものです。しかも、後から弟子たちがその意味をたずねた時、主はその意味を解説もしています。しかし、ただ読めばわかることを教えようとしたわけではなく、神を信じる者がその信仰を働かせることによって理解できる、より豊かな信仰の在り方を教えようとされたのではないでしょうか。種が神の言葉であり、道端や岩の上、茨の中に落ちたものがどういう人たちのことを語っているかを知り、良い地に落ちた者の姿を学んだとしても、知識としての言葉ではなく、体験として神を知り、この世的な良い行いではなく、神の前の行いとならなければ、たとえ知ってはいても、表面的自己満足になってしまうのです。
 主は「聞く耳のあるものは聞きなさい」と言われました。だれに聞くのでしょう。自分の経験や、この世の知識ではなく、わたしたちの目には見えなくても、わたしたちを知り、愛をもって寄り添ってくださっている神以外にはありません。神はわたしたちに、神の視点でわたしたちを教え、励まし、支えてくださいます。だからこそ、与えられたチャレンジを自分のものとして、謙遜に受け止めさせていただこうではありませんか。続くところで、「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはありません。」と教えられています。だからこそ、聞き方に注意しなければならないのです。