詩篇116篇1~7節
主が私に耳を傾けてくださるので
私は生きているかぎり主を呼び求める。
メッセージ要約
私たちを極みまで愛し、今日も生かしてくださっている主に感謝します。主が先ず私たちに愛を注いでくださっている故に、私たちも「主よ。あなたを愛します。」と今日も告白します。(1節)主はいつも、どんなときにも私たちの願いを聞き、しかも身を乗り出し耳を傾けて聞いてくださいます。ですからはばかることなく、生きている限り主を呼び求めていきましょう。(2節)死がまるで綱のように取り巻くような時、また死の恐怖に飲み込まれそうな思いの時、」苦しみや悲しみの中に浸かっているように思う時もあるでしょう。(3節)
4節に、「その時」とあります。まさにその時、万事休すと思ってしまうような時、私たちには「主の御名を呼ぶ」ことを選ぶことができます。「主よ。どうか○○してください。」という祈りは神さまに矢のように届きます。主の御名を呼び求める者に世界の何も敵対することはできないのです。あなたはそのことを信じますか?
主は情け深く、正しく、そしてあわれみ深い方。(5節)これらは神ご自身のご性質です。神はこの性質をキリストに従う歩みをしている者たちにダウンロードしてくださっています。これらは既に私たちに与えられたアイデンティティなのです。私たちが関わる全ての方々にこのアイデンティティから生み出される言葉を、そして行いを両手で届けていきましょう。
もしかするとご自分の浅はかさを感じることがあるかもしれません。(6節)浅はかとは、「考えが浅い、思慮が足りない」という意味です。「これは私のことです!」と手を上げなくても大丈夫です。「能力がなく劣っている、見下されている(おとしめられている)」と感じている人もいるかもしれません。たとえそうであったとしても、私たちを守り、救ってくださる方を私たちは「主」と呼ぶのです。主は、ご自身が名前を呼ばれる出番(出動)の時に、どんな表情をしておられると思いますか?「また君か!」などとは決して言いません。「私を呼んでくれて本当にうれしいよ。君は私の愛する息子(あるいは娘)だよ。」とおっしゃるでしょう。
私たちの究極の憩いは、主ご自身です。「ただいま」といつでも戻って良いのです。あなたの、私の「ただいま」をいつも、主は待っておられます。天の御国に「ただいま」と本帰国するまで、地上で生かされる限り、主のもとに戻りながら、主と共に歩んでいきましょう。