2023年度 No.30

『祈ることを教えてください』仁科早苗師

ルカの福音書11章1~4節

 さて、イエスはある場所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
 『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。』」

メッセージ要約

 主の祈りは、キリスト教の小さな学校と言われています。今日において、情報に埋もれて、祈りを軽んじていても気が付かずに過ごしている私たちの現実があるのではないでしょうか。自己中心な私たちに「主の祈り」こそが自分勝手な祈りになってしまうことから守ってくれます。主の祈りを通して、どのような神さまがわたしたちの祈りの前に立ってくださるのかを知るのです。
 弟子たちはイエス様に「祈ることを教えてください」と聞いたのは旅の途中でした。イエス様の旅とは「十字架へ十字架へ」と神さまのみこころを歩んでいる真っ最中でした。主の祈りは生まれつきの自分中心の思いと逆らいながらわたしたちに特別な生き方を示す道しるべを与える祈りなのです。
 イエス様は祈れない私たちを責めるお方ではありません。主の祈りを祈るとき、本当にうれしいことは「この祈りが自分の心の祈りではなく父の思いを祈っている」という事です。主イエス様が祈った祈りを祈ることが出来るのです。この祈りをするときに天国とこの地上が確かにつながります。そしてイエス様の十字架の旅路と私たちの人生の旅路の目的地が一致するのです。自分の夢、自分の財産、自分の名誉はどうなった?とか私を裏切り傷つけたあの人を忘れられないとか、そういう誘惑によって道を見失う私たちを、イエス様と一緒に旅を続ける道に引き戻してくれるのが主の祈りです。私たちはどこへ向かって生きてくのかわからないことが一番苦しいのです。だから、この祈りを祈ることで、イエス様が常にわたしたちと同伴してくださって迷わないことを確認させてくださっています。昨日も、今日も明日もです。イエス様が何度も何度も口移しで弟子たちに教え、私たちも諳んじて祈れるこの主の祈りこそが、イエス様が教えようとされた真理に生きる旅路の道なのです。