ルカの福音書1章67~79節
「…『幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。』」
メッセージ要約
私たちが待ち侘びているクリスマスが、日に日に近づいて来ています。イエス降誕のときも、待ち詫びている人たちがいました。
ザカリヤに約束された子、バプテスマのヨハネは、「イエスの御前を先立って行くもの」、イエスが近付いてくる足音でしたが、誕生の預言のときからそのようになっていました。ヨハネが生まれることは、救い主が間もなく降誕することを意味しました。それを知ったザカリヤの口からは希望に満ちた賛歌が溢れ出し、「このことは、主の深いあわれみによる」と預言しました。
そのあわれみは、いつから始まっていたのでしょうか。それは、「アブラハムに誓われた誓い」だと、73節で歌っています。これは、アドベント第1週で取り上げた創世記22章16~18節の、何千年も前のアブラハムへの神の約束です。この約束の基にあるのが、失楽園で神が宣言した、「蛇の頭を打つ女の子孫が現れる」ことの預言です。神のあわれみは、天地創造の直後には始まり、神ご自身もそれを実現することを長い間待ち侘びていました。
ザカリヤ達はこのような中で幸いだったように見えますが、彼らの日々の状況は、決して良いものではありませんでした。国際的にはローマに支配され、国内では指導者たちの不正や横暴がはびこり、生活は貧しく、ザカリヤ夫婦は肉体の衰えも感じていました。その様な中で彼らが幸いを得た秘訣は、「主によって語られたことは必ず実現すると信じたこと」(45節)でした。
神はあなたを深くあわれんでイエスを送りました。どのような状況にあろうとも、あなたには、それを信じて「曙の光」を喜ぶ権利があります。そして、その幸いをもって、神を愛し人を愛することができます。この道を共に歩んで行こうではありませんか。