使徒の働き 4章19~20節
・・・しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。
「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方
が、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分が見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」・・・
メッセージ要約
六月の第三日曜日は、父の日として覚えられていますが、最近では時代の変化に合わせて、母の日、父の日、子どもの日などもあわせ、家族の日として行事を行っている教会も出てきています。
聖書はわたしたちに、いつの時代にも変わることのない真理を教えてくれると同時に、その時代に必要な働きを示しわたしたちを押し出し、導いてくださいます。
弟子たちは、主の約束された聖霊を受けた後、神が自分たちを通してなされた働きの目撃者、体験者となりました。それは、誰によっても否定することのできない現実であると同時に、経験していない人にとっては受け入れがたいものであったことも事実です。しかし彼らは、実際に体験したことによって生ける神の存在を言じ、罪が赦されただけでなく、永遠のいのちの希望を確言するに至ったのです。
すなわち、目に見えず手で触れなくても、共にいてくださる主を知ったのです。
生まれつき足の不自由な人がヨハネとペテロに出会い、ナザレのイエス・キリストの名によって躍り上がって立ち、歩きだしたことは、その人だけでなくそれを日撃した人々にとって、大きな驚きであり、否定することのない事実でした。
人は自分の理解を超える出来事に遭遇すると、時にその人を疑い否定しようとします。けれども、誰も人の心を知ることはできませんし、神のなさるわざを知らなければ混乱してしまいます。
だからこそ、わたしたち一人一人がその心に主なる神を迎え、主と共に生きることが大切なのです。わたしたちが主と共にあるとき、主はわたしたちに、たとい理解しがたいことであっても、すべてのことの背後に神の恵みの計画があることを教えてくださるのです。
この世に生きるわたしたちは、何も知らなくてもいろいろな判断を求められます。
だからこそ、共にいてくださる主を言頼し、主にある自由と平安の中を歩ませていただこうではありませんか。