2025年度 No.36

『十字架の上で救われた犯罪人』 佐川庄一勧士

ルカの福音書23章32節~47節

「私たちが救われたのは、私たちが何かをしたからでなく、ただ、イエス様の十字架の贖いのゆえ、信じる信仰によるのです。」

メッセージ要約

 さて、今日の聖書箇所はイエス様と二人の犯罪者が十字架につけられ、そのうちの一人がイエス様を信じて、イエス様から「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われて、救われた所です。この犯罪人は、以前にイエス様のことを聞いていたのかもしれません。そして、イエス様が十字架に付けられる様子を、誰よりも一番近くで見ていたのでした。

イエス様は弟子に裏切られ、人々に憎まれ、嘲られ、むちで打たれ、十字架に釘づけにされました。そのイエス様の口から最初に出た言葉は「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのか分かっていないのです」でした。それはきれいごとではありません。むちで肉を裂かれ、釘で手足を貫かれ、流れ出る血と浴びせかけられる屈辱に染まりながらも、「彼らをお赦し下さい」と祈るすがたを、この犯罪人は誰よりも一番近くで見ていたのです。それで、もう一人の犯罪人がイエス様をののしった時に、彼はたしなめて言ったのです。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことは何もしていない。」と、彼は、神を恐れ、自分の悪を認めて、イエス様の哀れみにすがったのです。それで、「イエス様、あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」と、その時に、イエス様から、先ほどの言葉を言われたのでした。「まことに、あなたは今日、私とともにパラダイスにいます。」と、彼はイエス様を信じて救われたのです。死ぬ数時間前に救われたのです。

 彼はその生涯において、神様のお役に立てることなど、何一つできなかったに違いありません。しかし、神様の救いの御手は、信じるこのような人にも伸ばされたのです。彼は神様の一方的な恵みと哀れみによって救われたのです。この所で、ある牧師がお話しされたことが忘れられません。「彼は礼拝を守りましたか。お祈りしましたか。聖書を読みましたか。献金をしましたか。神様のために奉仕をしましたか。……」と言われました。彼は何もしていませんでした。そうです、私たちも救われたのは、私たちが神様の前に何かしたから救われたのではありません。神様の一方的な恵みと哀れみによって、イエス様を信じる信仰によって救われたのです。私たちの罪も、弱さも、足りなさも、全部を知ったうえで、そのまま受け入れて愛して下さっている神様に感謝したいと思います。

クリスマスのこの時、私たちも、私たちの評価でなく、私たちの目でなく、神様の目、神様の心ですべての人を愛して下さっている神様の愛に満たされ、私たちの隣人を受け入れ、愛しましょう。