2025年度 No.33

『勝利の十字架』 及川純夫勧士

ヨハネの福音書19節28~30節

「イエスは酸いぶどう酒を受けると、『完了した』と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」

メッセージ要約

I.新約聖書は、イエス・キリストの死と復活を通して、神が私たちに勝利を与えてくださったと宣言します。「しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(1コリント15:57)
 初期の教会は十字架上のキリストの凱旋を祝い、罪、死、サタンに対して、勝ちとられたキリストの勝利を大いに喜びました。しかし、この勝利を私たちは、どのように理解したらよいのでしょう。

II.グレゴリウス(AD540~604)の「キリストの十字架の勝利についての教え」
グレゴリウスはキリストの十字架を、「えさのついた釣り針」というイメージを提案します。主キリストの人間性はえさで、キリストの神性は釣り針。悪魔は大きな海獣のように、このえさをひと呑みにします。しかし、後から釣り針に気づきますがもう遅いのです。呑み込んだのは、神のひとり子イエスだったのです。悪魔は自分の権威の限界を越えてしまい、結局、彼の権威は剥奪されざるを得なくなります。さらにわれらの主イエスは、死人の中から甦り天に昇り、ここに悪魔に対する完全は勝利をなし遂げます。

III.【教父アウグスティヌス(AD.314~430)の説教より】
「・・・悪魔はキリストが死んだ時、喜び踊りました。そしてまさにそのキリストの死によって悪魔は敗北したのです。悪魔は、いわばねずみ取りのえさに飛びつきました。
キリストの死を喜び祝いました。自分が死の支配者だと思い込んでいたからです。彼の喜びを誘うものが、彼の目の前にえさとしてぶら下っていたのです。しかし主の十字架は、悪魔を捕えるねずみ取りでした。彼がつかまえたえさは、実に主の死だったのです。」

IV.主イエスは、十字架上で、悪魔とも戦っていたのでした。主イエスは悪魔に、御自分の命を、差し出していたのです。
ですから、主イエスの最後のおことばは「完了した」(おわった)だったのです。しかし、父なる神はこの主イエスを復活に導き、天に昇らせなさいました。主イエスは悪魔に対して、完全な勝利をおさめたのです。

V①.「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
 悪魔のものになっていた私たちを、主イエスはその罪を赦し完全に自分のものにして下さいます。

②.「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった・・」(ローマ5:12)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

神は私たちの死に対しても勝利をおさめてくださったのです。