2025年度 No.31

『悲嘆から祝宴へ』 鎌野直人師

ヨハネの福音書2章1節~12節

メッセージ要約

「起こってほしくないことが、起こってほしくないときに起こる」というマーフィーの法則があります。ガリラヤのカナで行われた婚礼にイエスと弟子たち、そしてイエスの母が招かれていたとき、起こってほしくないことが起こりました。

I 悲嘆
 村と家族総出の祝宴の最中に、ぶどう酒が底をつくという最悪の事態が発生しました。当時の文化を踏まえると、花婿の家にとって一生の不名誉を意味しました。花婿の家はこのことのゆえに悲嘆に暮れていたでしょう。イエスの母は息子に窮状を伝えますが、イエスは「女の方、あなたとわたしに何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません」と答えます。この「時」とはイエスが十字架によって栄光を現す時を意味しています。


II 従順
 しかし、イエスの母は給仕をする者たちに「あの方が言われることは、何でもしてください」と依頼しました。イエスは、ユダヤ人のきよめの習慣のために置いてあった約100リットル入りの石の水がめ六つに水を満たすようにと給仕の者たちに命じます。彼らは、ぶどう酒がない状況で、水汲みという無関係で過酷な作業に驚いたでしょう。その後、イエスは彼らに、その水を汲んで宴会の世話役のところに持って行くようにも命じます。なんの意味があるのか、と疑問を抱きながらも、彼らはイエスのことばに忠実に従いました。


III 祝宴
 給仕の者たちが汲んできたものを飲んだ宴会の世話役は、それが最高のぶどう酒であることに驚き、花婿を褒めます。この評価は、何が起こったかを知らなかった世話役のものですから信用がおけます。こうして、絶望と悲嘆に暮れる状況は最高の祝宴へと一転しました。イエスがおられ、彼の言葉に従う人々がいたからです。記者は、イエスが「最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された」と記します(2:11)。そして、この最初のしるしを見た弟子たちはイエスを信じました。
 カナにおいてイエスが行った水をぶどう酒に変えるというしるしは、イエスが世界を悲嘆から祝宴へと、さらに死からいのちへと変えることができる方であることを示しています。そして、「ことばが人となられた」方であり、まことの人としての世界を適切に治めることができる方であり、「三日目」の復活を通して世界を新しくする方であることをも示しています。イエスのなさるしるしそのものではなく、それが指し示すものを知るとき、私たちは彼を信じる信仰へと導かれるのです。