2025年度 No.04

『誇るべきものは』宮崎星人神学生

ガラテヤ人への手紙6章11~14節

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。」

メッセージ要約

 ここではなにを誇るべきかはっきりと示されている箇所です。世間ではあらゆるものを誇ったり、また恥じたりしています。それに対してパウロは誇るべきものは主イエス・キリストの十字架であると言っているのです。

神のおきてである律法を守ることで救われると信じているユダヤ人がガラテヤの教会に行って割礼を強要しました。割礼は、ユダヤ教に入るために行われる儀式のことです。割礼を受ければ主イエスの十字架による迫害を避けることができると述べ、割礼を施していきました。けれども本当は自分たちを誇るために割礼を受けさせようとしたのでした。

 イエス様は多くの人たちに神様について教え、癒し助けたりしました。それはイエス様が決して自分を誇るためではなく、むしろイエス様は恥を受けにこの世に来られました。その恥は十字架で死なれたことです。十字架刑は一番恥と思われる死刑です。なぜ神であるイエス様がそのような恥を受ける必要があったのでしょうか。

なぜならイエス様は私たちのことを愛しておられ、私たちを罪の支配から解放し救おうと思われたからです。

 わたしたちは十字架以外に誇るものがあるのであれば、道にそれ間違った信仰生活を歩んでしまいます。実際に当時のガラテヤの教会の状況がそうであったのです。

 わたしたちは主イエス・キリストの十字架だけに心を向けて誇りをもって歩んでいこうではありませんか。