2024年度 No.52

『この世の誘惑』船田肖二師

ルカの福音書22章1~4節

・・・ところで十二人の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。

ユダは行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡すか相談した。・・・

メッセージ要約

 今年度最後の礼拝を迎えています。この一年を振り返りあなたは何を思い、また感謝をささげるでしょう。わたしたちに与えられた聖書は、旧約から新約、そして今に至るまで神の前の罪との戦いを語っています。そしてその罪の根底にあるのは誘惑です。神を知らなければ、この世の価値観によって判断がなされますから、置かれた環境や時代の動きによって生き方は異なってきます。

ましてやわたしたち一人一人が個性を持っているわけですから、人間関係において戸惑い、ぶつかり合うのは当然のことです。そういった中に、サタンも巧妙に働いてくるのです。

 いつも一緒にいる人ならばそれなりの理解も生まれるでしょうが、成長し世界が広がることによって 自分自身も学び成長しなければ、人を受け入れることが出来ず苦しむことになります。神はそんなわたしたちに、聖書を通して、すべてを支配し愛をもって導いてくださる神を土台とすることを教えてくださるのです。

 今日のテキストは、主が十字架の前にユダに裏切られる場面です。文字を読めばさりげない短い文ですが、ここに登場する一人ひとりのそれまでの人生を思い、その心の揺れを考えるならば、「ユダはイエスを売った」と、単純にユダだけを悪人にすることはできません。

わたしたちの日々の歩みの中にも、相手の心を理解できず、むしろ、自分の強いこだわりのために大切なものを見失ってしまうことがあるのです。それが自分の欲のためであったり、自分自身の義のためであったり、また怒りのために行動することもあるでしょう。

だからこそ聖書を通して神を知ると同時に、人の姿、その性質を学び、自分がどこまでも弱く、わがままな存在であることを認め、そんな私たちを愛してくださる主がいつも共にいてくださることを自覚して行くのです。

 この世の誘惑は巧妙で、避けることは難しいですが、共にいてくださる主の恵みははるかにまさるものであることを心に刻もうではありませんか。