2024年度 No.26

『愛する弟子たちのための祈り』藤井正子師

ヨハネの福音書17章9~19節

…「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」…

メッセージ要約

今、御父のもとに帰ろうとするイエス様は、愛する弟子たちのために祈られました。弟子たちとともにいたときは、神の御名によってイエス様が弟子たちを守りました。しかし、今父のみもとに帰ろうとしているイエス様は、残される弟子たちのために祈っているのです。

1)世から取り去られないこと
イエス様は、弟子たちをこの世から取り去られないことを祈られました。弟子たちは、この世にあって勝利を勝ち取っていかなければなりません。クリスチャンも同様です。信仰生活の中で、静かに一人祈ること、黙想すること、世と決別するときも必要です。しかし、これらは、人生の目的ではなく目的のための手段にすぎません。クリスチャンの人生の目的は、この世の日常の仕事の中で、クリスチャン生活を実証することです。

2)弟子たちの一致
イエス様の祈りは、イエス様と御父が一つであるように、彼らも一つとなることでした。一つとなるというのは、主の御名によって守られることによって、得られる一致です。同じものの集まりではありません。主を信じているという点においては同じですが、考えも性格も生き方も様々です。教会の中でも分裂と排他性と闘争、不一致と不和というものが起こる可能性があります。それと同時に、忘れてはならないことは、教会には一致への道が開かれているのです。

3)悪しき者たちからの守り
この世には、神の力に敵対する悪の力があります。それは、人間を正しい道から誤った道へ誘き入れようとする力です。神が私たちの行く手に立って、私たちを悪の攻撃から守ってくれるならば、どんなに心強いことでしょうか。挫折するのは、自分の力により頼むところから生まれてくるものなのです。神の臨在を思い起こし、神に助けをことごとく求めることが大切です。

4)真理のよって聖別される
聖別と訳されたハギオスいうことばは、通常きよいと訳されていることばです。 しかし、基本的な意味は、異なった、区別されたという意味を持ちます。特別な任務のために、わたしたちを区別され、その職務に必要なものを備えさせてくださいます。この世と区別して、そのまま放置にはなさらないのです。自分の人生を主の御手にゆだねるとき、主はその恵みによって、私たちをその職務へと備えてくださいます。
愛する弟子たちのために祈られた祈りは、今も私たちのために祈られている祈りです。この世の苦渋を十分ご存じであるお方が、今も私たちのために祈っていてくださるのです。イエス様に祈られているという確信と支えよりも、いかに祈りが答えられるかに、心を注いでいないでしょうか。聖別されて、この世にありながらこの世から守られ、一つとされて、主の使命に生かされるものであることを感謝致しましょう。主に愛され、主に祈られて支えられている身であることを覚え、この主を伝えるものとさせていただきましょう。