2024年度 No.16

『主へのささげ物』石﨑善土師

レビ記1章1~4節

…そのささげ物が牛の全焼のささげ物である場合には、傷のない雄を献げなければならない。…

メッセージ要約

 聖書には、主へのささげ物のことが何度も出てきます。ささげ物による仕組みは、キリスト教の根幹です。私たちを救うイエスの十字架は、主へのささげ物の集大成です。ですので、ささげ物が解ると、十字架の意味が解り、聖書が伝えようとしていることが、より明確になります。ささげ物で、もっとも良いものは、「全焼のささげ物」(燔祭)です。そして、ささげ物の入り口となるのが「罪のきよめのささげ物」(罪祭)(4章)です。
ささげ物は、私たちの状態を変化させます。聖書は、3つの状態があると言います。1:汚れ(unclean)、2:きよい(clean)、3:聖(holy)です。神は、聖であり、わたしたちに聖なる者となれと言います(レビ11:44)(ヘブル12:14)。私たちは、汚れたものに触れたり、罪を犯すと、汚れの状態(unclean)になります。「罪のきよめのささげ物」をすると、きよい状態(clean)になります。そして、「全焼のささげ物」をすると、聖の状態(holy)になります。しかし、「全焼のささげ物」をする人は、汚れの状態では、献げる事ができません。聖とされるには、まず、きよい状態になる必要があります。
 ささげ物の仕組みとして、もう一つ重要なことは、神は身代わりを認めていることです。ささげ物は、ささげる人の身代わりです。「罪のきよめのささげ物」は、罪を犯した人の身代わりとなって、命を失います。“罪の報酬は死です”(ローマ6:23)とある通りです。「全焼のささげ物」は、文字通り、ささげる物を全て焼き尽くします。貴重な家畜を、自分は一部分も取ることなく、全てを主に献げます。「全焼のささげ物」をした人は、すべてを主に献げたと認められ、聖なる神のものになったと見なされます。
 イエスが“神の子羊”と言われたとき、ユダヤ人が思い出したのは、このささげ物にされる子羊のことでした。主へのささげ物は、すべてイエスの十字架のひな型でした。イエスの十字架では、複数ある主へのささげ物が、同時に献げられています。そこでは、「罪のきよめ」と「全焼」のささげ物が、私の身代わりとして同時に献げられました。そして、汚れがきよく(clean)され、聖(holy)になることが同時に起こりました。イエスの十字架を信じた私たちは、信じたとき、これらのこととが起こりそれに加え、聖とされたので、聖霊が降りました。
私たちは、聖霊によって、聖とされ続けます。それによって、“聖なる者となれ。”という神が命じたようになり、神とともに歩むようになりました。しかし、私たちは、生きている限り、汚れます。ですから、私たちは聖とされるように、礼拝を続けます。(ローマ人12:1)この礼拝は、新約時代の「全焼のささげ物」なのです。