ヨハネの手紙 第一3章23~24節
私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。神の命令を守るものは神のうちにとどまり、神もまた,その人のうちにとどまります。神が私たちのうちにとどまっておられることは、神が私たちに与えてくださった御霊によって分かります。
メッセージ要約
元旦の合同礼拝、そして地震で始まったこの年も、半分が過ぎようとしています。自然災害はもとより、人の営みによる政治や経済においても、何が起こってもおかしくない日常は、不安に満ちています。わたしたちの生活を一変させる出来事は、身近に溢れているのです。そのようなわたしたちに神は約束を与え、何ものによっても奪われることのない土台を与えてくださっています。
主の弟子であったヨハネは、主が語られた言葉となされた業を、主の十字架の死と復活を通して振り返り、神が主を通して与えられたメッセージを繰り返し語っています。それが「互いに愛し合いなさい」という言葉です。主の選ばれた弟子は12人で、性格も性質も違い、互いにストレスを感じながら生活をしていたことでしょう。けれども、その中に主がおられたからこそ、互いの賜物を生かし合い、主に仕えることができました。
今を生きるわたしたちも同じです。目に見える牧師や役員がいたとしても、それがわたしたちを一つにしているわけではありません。目には見えなくてもわたしたちを愛し、共に住んでくださっている主なる神が、わたしたちを一つにし、わたしたちを教え整え、導いてくださるのです。人が外の姿かたちを見るのは昔から変わりませんが、神がその心を見られるのも変わることのない事実です。わたしたちが目に見える人や組織に期待しているとすればやがて破綻します。
ひとりひとりを愛し、そのうちにあって働き続けてくださる方は、いまもわたしたちに希望を与え、チャレンジを与えてくださいます。わたしたちが自分の理解できる人にだけ主を見るのではなく、すべての人、すべてのことの中にも主の愛の御手が注がれていることを信じることができるとはなんと感謝なことでしょう。だからこそ心の目を開き、あらゆるところに働かれている主を認め、その主を受け入れ、心から愛していこうではありませんか。主がわたしたちと共におられることを認め、自分を主に任せていくならば、神が責任をもち、わたしたちに平安を与え、主の喜びをわたしたちにも味わえるようにしてくださるからです。