2024年度 No.06

『奴隷の子、約束の子』石﨑善土師

創世記 23章32~42節

…神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」…

メッセージ要約

 生きていると、まさかという事があり、なぜ私なのかと思います。その理由を知ると、受け入れられなくとも、納得して希望を持ち楽になることがあります。今日の聖書箇所からは、そのような人生の仕組みを見ることができます。
 アブラハムの後継ぎとしてしばらく育てられた、アブラハムと奴隷の間の子であるイシュマエルは、約束の子であるイサクが誕生したことで、その座から突然引き下ろされました。イサクが乳離れしたときの宴会で、イシュマエルはイサクを笑いもの(サク)にしたことで、サラの逆鱗に触れ、追い出されることとなりました。このとき、どうしてこんなことが起こるのかと、それぞれに思ったはずです。
 この背後には、神の計画がありました。イエスに繋がる約束の子の系譜を守ることは最重要です。そのため、イシュマエルは出て行くことになりました。しかし、神もアブラハムも、イシュマエルをぞんざいに扱っているのではありませんでした。どちらも愛し、その命を救おうとします。そして神は、イシュマエルを約束通り(17:20)祝福することを伝えます(11,18)。神のすることは、人が掌握することはできないので、私たちからすると、思ってもみないことが起こります。だからといって神のめぐみから外れたわけではありません。イシュマエルは神がともにおり(20)、生きながらえ、祝福されます。
 しかし、この物語には、後味の悪さが残るのではないでしょうか。事が終わった後に振返り、神が最善をしてくださったと言えることは、わたしたちの慰めです。しかし、他の選択はなかったのでしょうか。イエスがその場にいたら、彼らに何と言ったでしょうか。サラを慰め、和解をするように勧めたのではないでしょうか。イシュマエルが出て行くとしても、和解が合って出て行くなら、世界は今と違っていたかもしれません。私たちの選択によって、人生も世界も変わります。良い選択をすることは、神の声に耳を傾けることではないでしょうか。