2024年度 No.03

『主を見る人生』船田肖二師

ヨブ記42章1~6節

…私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、わたしの目があなたを見ました。…

メッセージ要約

 わたしたちの人生は同じように見えても、一人として同じ歩みをすることはありません。また、笑っているように見えても悩んでいたり、困っているように見えても楽しんでいたり、見える部分とその心のありようも、人によって様々です。
 今日はヨブ記を開きました。ヨブは10人の子どもを持ち、多くのしもべや財産を持っていただけでなく、その地方で一番の有力者でもありました。かれは神を恐れ、悪から遠ざかり、誠実で素直な心を持っていました。しかしそんな彼に、突然思いもしなかった災いが次々に襲い掛かります。ヨブは主の前にそれを受け入れますが、妻や親しい友人たちは、彼に寄り添い慰めようとします。しかし次第にヨブを疑い、攻めるようになっていきます。ヨブも自分を呪い、友人たちに弁明していくうちに、神を見失い、自分は正しいと主張していきます。三人の友人が沈黙してしまった後、もう一人が口を開きヨブに語りかけ、神に向かわせたのです。この後神はヨブに語りかけていき、ヨブは、神を体験することになります。神は三人の友人に対して怒りを持たれますが、ヨブのとりなしによって許され、ヨブのとりなしの祈りにより、ヨブ自身を癒し財産をすべて元の二倍されました。
 ヨブ記はわたしたちに、いろいろな角度から語りかけてきます。ヨブが失った財産は二倍になって子どもたちがまた十人与えられても、失った子供たちがもどったわけではありません。けれどもこの経験を通して、知識としての神ではなく、生きたいのちの神を体験したヨブは、その心に財産や子供によってでは与えられない神の平安を握り、共におられる主によって満ち足りた生涯を歩むことが出来ました。わたしたちもこの世においては、思いがけない経験をすることがありますが、寄り添い慰めてくれるだけでなく、神を示し共に神の前に出てくれる友人があれば幸いです。むしろ神は、わたしたちがそのような隣人になることを願っておられ、日常の中にその存在をあらわし続けてくださるのです。だからこそ、日々の歩みの中で、主なる神を見るものとさせていただこうではありませんか。