2024年度 No.01

『網は破れていなかった』船田肖二師

ヨハネの福音書21章1~11節

…シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は153匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。

メッセージ要約

 イエス・キリストが十字架にかかられたことは、新しい社会や救いを待ち望んでいた人々にとって、大きな悲しみであり失望でした。それ以上に、いつも自分たちの前を歩んでいた主を失ったことは、弟子たちにとっては絶望であり、恐怖でした。どうしたらよいかわからず、人目を避けて集まっていた彼らに、主は自分が生きていることを示されました。それを弟子たちが受け止め、理解していくために、彼らが慣れ親しんできた状況を主は用いられたのです。主が彼らの前からおられなくなった時、彼らができたことは、主に従う前に行っていた漁でした。全く魚が取れない状況は、最初の主との出会いを思わせました。そんな時、岸から「舟の右側に網を打ちなさい」と声がかかったのです。彼らはその言葉に従い、153匹の大きな魚が網にかかりましたが、網は破れませんでした。弟子たちにとって、彼らの日常に力強く働く神の御手は、慰めと力に満ちた恵みでした。神はわたしたちが、神に従い特別な生き方をしているから用いられるのではなく、わたしたちの日常の歩みの中に声をかけ、そして神のたしかな存在をあらわしてくださいます。主は遠く離れた方ではなく、わたしたちのすぐそばに寄り添い、的確な導きを与えてくださる方なのです。
 ペテロとの最初の出会いは、主を舟に乗せ、主の足元でメッセージを聞いた時でした。そのあと主から「沖へ漕ぎ出して、網を下ろしてごらんなさい」と言われ、「お言葉ですから」と従ったところ、網が破れそうになるほどの、おびただしい数の魚が入り、二艘の船が沈みそうになったのです。この二つの出来事は、主の深い愛の計画を知るための、少なくともペテロにとって否定しようのない神からの明確なメッセージでした。主はわたしたちの日常にも共に働いてくださり、わたしたちが自分に絶望し、弱さに打ちひしがれているときにも、「網を下ろしてごらんなさい」と語りかけ神の御手のわざを見せてくださいます。わたしたちの最善の計画を超えて働かれる神を見上げ、期待をもって従おうではありませんか。