2023年度 No.46

『ロトの救い』石﨑善土師

創世記19章15~29節

…彼はためらっていた。するとその人たちは、彼の手と彼の妻の手と、二人の娘の手をつかんだ。これは、彼に対する主のあわれみによることである。…

メッセージ要約

 

 ロトが救出される過程は、多くの人が救われるときと同じです。1.世は滅ぶことが決まっている(15)。2.救われるのは、主のあわれみによる(16)。3.主に従うのをためらう(16)。4.決断しなければ、機会を失う(26)。
 ソドムとゴモラが滅びることは、洪水で世界が滅びること、イエスの再臨と並ぶ出来事として書かれています(ルカ17:22~37)。ロトは、ノアのように、罪深く滅ぶ世界に住んでいました。そこからロトが救い出されたのは、主のあわれみによります。現代でも、人は主のあわれみによって救われます。主はあわれみのゆえに、今日の賛美のように、手を取って引いてくださいます。それなのに、多くの人はためらい、素直に従えなかったのではないでしょうか。それでも、主はその手を離すことはありません。
 しかし、主が伸ばした手を自ら離す人は、救われません。ロトの妻はソドムを振り返り、いのちを失いました。ソドムに残してきたものを思い、自分のいのちを失いました(ルカぬ7:32,33)。主に従うチャンスが一度きりという場合は少ないかもしれませが、最後のチャンスは訪れます。ロトの妻は、その最後のチャンスを逃しました。わたしたちの回りには、この最後のチャンスを逃している人が多くいるのではないでしょうか。主に従う決断をしなければ、滅びから救い出されるチャンスを失います。
 ロトに対する主のあわれみの背後には、アブラハムのとりなしがありました(29)。アブラハムの祈りは聞かれなかったように見えますが、主は、そのとりなしを無視していたわけではありません。祈ったとおりにならないからといって、主が聞いていないわけではありません。聞いていても、そのようになるしかない事があります。また、アブラハムのとりなしは、主の思いとなりました。わたしたちの祈りは、主の御心へとなって行きます。祈る一人一人は別々の人であっても、主の体として一つになっていることを覚えつつ、とりなすことが、わたしたちの使命としてあります。