創世記19章1~14節
…ほかにだれか、ここに身内の者がいますか。あなたの婿や、あなたの息子、娘、またこの町にいる身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。私たちは、この場所を滅ぼそうとしています。彼らの叫びが主の前に大きいので、主はこの町を滅ぼそうと、私たちを遣わされたのです。…
メッセージ要約
ロトの、アブラ(ハ)ムと別れて暮らすようになった、その後について書いているのが、今日の聖書箇所です。ロトは、潤っていた低地を選び、アブラハムと別れ、ソドムに天幕を移しました(13章)。そして、祭壇から離れ、礼拝しなくなりました。
前章でアブラハムを訪ねた一行が、予告通りソドムに着きましたが、一行から主がいなくなりました。これは、ロトが礼拝を止め、主の前から去った結果です。ロトはソドムに住み、邪悪な人々の中で、町の門に座る長老(有力者)となっていました。ロトはソドムの不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩んでいました(ペテロの手紙第二2:7)が、倫理観や価値観は影響を受けていました。その結果、御使いを守るため、大切に育てた自分の娘を、町の人に差し出そうとします。
ソドムの町に染まってしまったように見えるロトでしたが、主の救いは失われていませんでした。御使いはロトに、「身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。」と告げます。このようなロトを、新約聖書では、正しい人(義人)と解釈しています。側から見ると、落ちぶれてひどい行いをしている様に見えても、主の救いは人の価値観には寄らないことが分かります。一方で、ロトの日頃の言動によるものか、ロトが婿たちに主がしようとしていることを告げても、彼らはそれを悪い冗談のように思い、取り合いませんでした。あるいは、罪深い者たちであったため、主の救いを受け取らなかったのかもしれません。
ロトの救いは、神がアブラハムを覚えておられたからです(創世記19:29)。現代の私たちは、神がイエスを覚えておられるから、滅びの中から逃れる道を与えられています。この道は、全ての人に用意されています。しかし、それを悪い冗談のように思い、受け取らない人がいることは、ロトの時代と変わりません。ソドムの町の出来事は、世界の縮図です。あなたは登場人物の、誰の道を歩んでいるでしょうか。また、誰の道を歩みたいと願い、その結果を迎えたいと願うでしょうか。