創世記18章1~15節
…主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」…
メッセージ要約
1週間前はクリスマスでしたが、今日はもう大晦日です。私たちの日本には、大晦日はお寺の除夜の鐘を聞き、正月には神社へ初詣に行く風習があります。行ったことはなくても、誘われたことが無い人は、いないのではないでしょうか。年末年始のこの国の風習は、お寺にしても神社にしても、厄除けが発端となっています。それは、たた(祟)られないように、現状を邪魔されないようにすることが中心です。
現状を満足し、維持することを願う。という姿勢は、この国で、私たちの生活の基盤のリズムとなっています。現在の幸せを喜んでいれば、次の福がやってくる。という諺が、「笑う門には福来る」です。
聖書には似たような言葉で、「いつも喜んでいなさい」と書いてあります。これには、喜ぶべき状況にあること、福があることに気付きなさい。という意味があります。聖書の神が与える福は、祝福や福音のことですが、その福は、神が運んできます。
アブラハムと妻のサラは、子どもをつくれる年齢ではなくなっていましたが、神を信頼していた夫妻を神は祝福し、子を与える約束をしました。サラはこのとき、信じることができず、福があることに気付けませんでした。後にサラは子どもを産んだとき、「私のことを聞いて、皆が笑うでしょう。」と言います。子どもはイサクと名付けられますが、その意味は「笑う」です。
聖書の神が、すべての人に福を運んできたのがクリスマスです。その福を受け取った人は、いつも喜べる様になります。しかし、その福を持っているはずなのに、喜べないほどに心が疲弊してしまうことがあります。神はそのようなとき、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言います。この一年に苦労を感じた皆さんに、新しい年は神の福があるように、重荷をおろすことができるように、お祈りしています。