創世記17章15~27節
…あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」…
メッセージ要約
最も祝福された女性と言えばマリアですが、神が祝福する場面に、子供を産めるはずのない方の出産が出てきます。それは、全能の神の祝福は、人には出来ないこと、受け取れるはずがないものが与えられることを表しています。それは、神は何もないところから創り出される方であることを教えています。
福音による私たちの救いは、罪人である私が、義を受け取るという、あるはずがないことが起こっています。そして、救われるはずのない者が救いを受け取っています。このように、福音は祝福なのです。(ガラテヤ人への手紙3:9,14)
信じる者に与えられる祝福は、アブラハムを起点にはじまりました。彼は、神を信じる者が無い世の中から、神を信頼して従う信仰が与えられました。元は偶像を拝み、祝福を受けるはずのないアブラハムが祝福を受けました。そしてそこから、全世界の祝福の道がはじまりました。それが、マリアへの祝福と続き、イエスの誕生へと繋がり、私たちの救いへとたどり着きました。この道は、御国へと繋がって行く道です。
天地創造は創世記で終わりましたが、聖書には、神は人を胎に創造すると書かれています。人は誰でも、生まれる数ヶ月前には姿かたちはなく、命の原型すら見あたりません。そのことは、神の創造に他なりません。人は、無に等しいチリから創造された、祝福されている存在なのです。そして、イエスの福音を信じたなら、受け取れるはずのない義を受け、聖霊を与えられ、御国に入る権利を、祝福として与えられている者となっています。
神は、祝福を受けた者に、たとえ相手が悪をしてきても、侮辱をしてきても、祝福をするようにと命じています(ペテロの手紙第一3:9)。それは、信仰によってアブラハムの子孫に加えられた者が、神の祝福の代行者とされているからです。