2023年度 No.37

『無きに等しい者への愛』長尾秀紀師

コリント人への手紙第一1章18~31節

…すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。…

メッセージ要約

 今日は私の救いの証しをします。私は岡山県の和気という田舎で、吉井川が流れる山あいの自然の中で育ちました。中学校までは友達とも楽しく過ごせていたと思います。
1.自分を否定する ・・・ 高校に入ってから勉強も難しくなり、自分の性格や心の状態にも悩むようになりました。こんな弱い自分ではだめだと思い自分を否定するようになりました。愛がわからず平安がなく高慢であり、自分のイメージする成功を手に入れたい思いが強く、不安や恐れでいっぱいでした。そこで心が強くなれば解決するだろうと思いました。そのためには、自分の心がどういうものか、心のからくりを知れば解決の方法もわかるだろうと。そこで、心理学や精神医学の読み物を書店で見つけては読み、自己鍛錬と自己改造を目指しました。それと同時に、不安や恐れから家にあった神棚に手を合わるようにもなりました。何としても不安を取り去りたいと「苦しい時の神頼み」を始めたのです。自分なりに真剣ではあったのですが、その時、私がイメージしていた「神」は、自分の願いをかなえてくれる御利益宗教的な神でした。そんな日々の中、もがいて何とか進学はしましたが心の不安は相変わらずでした。森田療法、自律神経の訓練、自己暗示、催眠療法、内観療法、などなど…色々とかじってはやってみましたが思うようにはなりません。大学に入って後、日々の不安や孤独から水泳部に入りました。体を動かし仲間と過ごすことでずいぶんと助けられた面もありました。
2.もしも本当の神様がいたら ・・・ そんな中、部活のため春休みに寮に残って森田療法の本を読んでいた時、ふと思ったのです。「もしも本当の神様がいたら自分の悩みは解決するのではないか」と。ご利益宗教の神の正体は自分の内にある思いや願い・欲望ですが、今度は自分を超えた自分とは別の大きな存在の必要をおぼろげながら思い始めたのです。父の勤めていた会社の社長さんがクリスチャンであることを聞いていましたので、手紙を書きました。「あなたにとって神様とはどういう存在ですか?」と。するとその方はすぐに返事をくれました。その手紙には「神様は愛の神です。神様はいつもあなたと共にいてくださいます。教会に行ってみなさい」とありました。特に聖書を読みたいともキリスト教会に行きたいとも思っていませんでしたが、せっかく教会にも紹介状を書いてくださったので、思い切って行ってみました。教会の敷居は高く自転車で玄関先をうろうろしていました。が、意を決して中に入りました。「よくいらっしゃいました」と笑顔で温かく迎えてくださいました。同級生の青年の横に案内されて席に着きました。説教は覚えていませんが「だまされんぞ」と牧師先生をにらみつけていたことを覚えています。自分でもがき探し求めているのに、心は大変かたくなでした。しかし青年会に心地よく迎えられて自分の居場所を見出し、なんとなく神の愛を感じ始めていたのだと思います。
3.洗礼・・・ 聖書の学びをし、2年後に洗礼を受けましたが、心の不安は続いており、教会生活も必ずしもスムーズではありませんでした。しかし卒業後に就職して岡山に戻り「日本イエス・キリスト教団 神の国キリスト教会」にお世話になってからは落ち着いて信仰生活を送ることができました。その4年後に神の召しをいただいて関西聖書神学校に入学し、今日に至っております。神様のご愛に感謝します。