創世記12章1~9節
「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。 地のすべての部族は、あなたによって祝福される。』…」
メッセージ要約
アブラムは、偶像礼拝をしていた町(ヨシュア24:2)から、神に呼ばれてカナンへとやって来ました。そのとき、どこに行くかは知りませんでした(ヘブル11:8)。これは、現在でも信仰を持つときに同じことが起こっています。私たちは、どこに行くかは知らないまま、神を信じて従いました。
アブラムが神に従って歩んで行ったとき、不妊の女であった妻サライ(11:30)に子孫を与える、子供を与えると神は約束します(12:7)。神に従うとき、人にはできないことを神は行うことがあります。
神に従ったアブラムは、神によって祝福とされ(12:2)ます。祝福とは、繁栄と幸いを与えるものですが、アブラムへの約束を見ると、祝福がどういうものか分かります。神の祝福は、アブラムに良くするものが受けることが宣言されています。このことは、アブラムの子孫であるイスラエル民族へと受け継がれて行きます(ゼカリヤ8:13)。そして、イスラエル民族の救い主であるイエス・キリストが、このことを担い、全世界の祝福となり、イエスを信じるものへの祝福へと繋がっています。
信じることには、決意や決断が伴います。神に対するこの思いは、何人にも邪魔されてはいけないし、奪われてはいけません。また、信じたものが受ける祝福や幸いは、他の人に評価できるものでもありません。神を信じて与えられているこの祝福を確認するとき、最初の神の愛へ立ち返ることができるのではないでしょうか。
アブラムへの約束が確かであったように、私たちへの約束も確かであることを信じ、新たな一歩を踏み出す力を神から受け取ることを、主は望んでいます。私たちは今の世にあって、神に祝福され、この世の祝福となり、祝福する者とされています。