2023年度 No.13

『バベル』石﨑善土師

創世記11章1~9節

…主が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。

メッセージ要約

 

 バベルという町の名前には、「混乱」という意味があります。神が「人のことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにした」ことから、そう呼ばれるようになりました。やがてこの町は国となり、バビロンと呼ばれ、世界を支配し、神に敵対し、イスラエルを支配するようになります。
 神が混乱させたのは、なぜなのでしょうか。それは、彼らが神の愛を見失ってしまったからです。神の愛を知らない民となり、神以外のものによって団結するようになりました(4節)。神の愛を見失った原因は、ノアとハムのやり取りにあります(創世記9:25)。ハムのしたことに対し、ノアはハムの子であるカナンをのろいます。そのとき、ハムはノアの愛を見失い、同時に神の愛を見失いました。のろいは祝福の対極にあり、祝福は愛と結びつき、のろいは憎しみと結びついています。
 人類全体が神の愛を見失ってしまうことは、究極的な危機です。そこには神との交流も人の幸福感もありません。そうなることを防ぐため、神は洪水後、再び地に介入し、混乱させました。そこには、人への神の愛があります。
 この混乱が回復されるのが、ペンテコステの出来事です。異なる言葉を話す人々が、自分の理解できる言葉で話していることを聞き、驚く場面が使徒の働き2章にあります。彼らが他国のいろいろなことばで話し始める前に、彼らは聖霊に満たされました。聖霊に満たされ、神の愛を与えられることによって、みなが同じことばを話しても大丈夫になります。
 神の愛がなければ、人の世は神に敵対し、どうしてもあらぬ方向へ進んで行きます。それは現代でも同様です。神は、神と共に歩むように人を造られましたが、そこから人はどんどんと離れて行きました。しかし、洪水前のような危機的状況になっても、神は決して諦めることなく、人が神と共に歩む道を備えて下さいました。そのことを知っている私たちは、希望が見当たらない状況に見えたとしても、神に似せられ、救われているものとして、希望の道を見つけることができます。