ヨハネの手紙 第一1章5~10節
…もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。
メッセージ要約
ヨハネはキリストと共に歩み、いろいろなことを学びまた経験しました。そしてその経験を、福音書や手紙に残しています。ヨハネは、イエス・キリストを通して、目に見ることのできなかった父なる神を知り、味わいました。すなわち、イエス・キリストを通して、神が光であって、闇が全くない方であることを理解したのです。
わたしたちが自分で考え、行動している時には、どうしても自分の思い込みによって、神の姿を自分の理解に近付けてしまいます。けれども、神の独り子としてこの世に来てくださったキリストは、私たちに神の姿を現してくださったのです。ヨハネも、それをすぐに理解できたわけではありませんでした。キリストが十字架にかかり、葬られ、よみがえり、弟子たちに自らの姿を現して平安を告げ、彼らに聖霊を注がれた時、自分の罪を自覚し、キリストの十字架の意味を理解し、受け入れることができたのです。
わたしたちも、自分の知識や経験によって理解しようとすると、逆に神を遠ざけてしまうかもしれません。けれども、自分の内にある罪を認め、それを神に告白するならば、その罪を赦し、すべての不義から私たちをきよめてくださるのです。すなわち神の一方的な愛によって、罪を取り除いてくださるからこそ、聖くなることができるのです。わたしたちの罪を赦し、きよくしてくださるのは主であって、わたしたちの知識や努力、行いではないのです。わかっていても迷い、間違ってしまうのがわたしたちです。それでもあきらめず、どこまでも主を信頼し、主に近付こうではありませんか。