ヨハネの福音書20章1~3節
さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。
メッセージ要約
今年も主の復活を記念するイースター(復活祭)がやってきました。多くの方が、この一年で、親しい家族や親族、大切な友人を主のもとに送られたことと思います。それだけでなく、世界中で多くの方々が、争いや事故、災害や思いもかけない病によって、地上の生涯を終えておられます。幼い子供や、若い方々もです。すなわち、わたしたちのこの世の生涯には、終わりがあるのです。しかし、造り主である神はわたしたちに、神の用意された永遠の住まいがあることを教えてくださっています。だからこそわたしたちは、この世の生涯に与えられている使命を信じ、主にあって自由に生きることができるのです。
十字架にかかられた主が葬られた後、人々は、生きておられたときの主のことばや行動によって、動きました。そこにも、神の導きの御手を見ることができます。朝早く墓を訪れたマリアは、石が取りのけられた墓を見つけます。その中に収めた主の姿はなくなっていました。すぐにペテロとヨハネもそれを確認しますが、帰ってしまいました。しかし、外にたたずんで泣いていたマリアに、御使いは現れ、そして主は後ろから自らの姿を現されます。今も主は、私たちのすぐそばにいて下さり、気づかないでいる私たちに寄り添い、わたしたちを主の復活の証人として用いようとしてくださっています。わたしたちは、ただ生きているだけではなく、神の作品として命を与えられ、愛され用いられているのです。たとい自分の思いとは違ったとしても、あなたを知っておられる神は、あなたとともに働いて人々に、失われることのない希望を、告げ知らさせてくださるのです。