創世記1章1節 / ヨハネの福音書1章1~5節
「はじめに神が天と地を創造された。」
創世記1章1節
「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
ヨハネの福音書1章1節
メッセージの要約
あるインドネシア宣教師が、宣教報告の中でインドネシアと日本の違いを報告してくれました。インドネシアではクリスチャンであってもなくても、天地創造の唯一の神とサタンの存在を固く信じているというのです。クリスチャンになるかどうかは「イエスが本当に神の子であること」、「神の子として、今日もサタンに打ち勝つ力を持っておられること」を信じられるか否かだそうです。それをもとに信仰の違いを表現すれば、インドネシアのクリスチャンは「旧約的信仰」であり日本のクリスチャンは「新約的信仰」、インドネシアのクリスチャンが「創造神信仰」であるのに対し日本人クリスチャンは「救済神信仰」である、というのです。
日本では主イエスの愛の心や愛のわざについてよく説教され、クリスチャンの交わりが強調されるのに対して、あちらでは天地を創造された唯一の神が今も歴史や個人の生活を支配されていることが語られ、神礼拝や賛美が強調されるそうです。どちらが正しいのでしょうか?もちろん両方です。両方がバランスよくあれば、より健全な信仰となります。私たち日本人クリスチャンが手薄であるほうを、より意識して学び思いめぐらすことによって、バランスがとれて力強い信仰の歩みができる、というアドバイスでした。
良き感情は大切ですが、実際に生活していれば困難も失望落胆もあります。そして感情がどうであっても、私たちを最高傑作として造って下さった創造の神様は全く変わりませんし、その約束はゆるぎません。それを知っていることが大切です。創世記1~3章、ヨハネ1章1~18節などに、よくまとめて記されています。さらに短くまとめたものが「教理」であり、身近にある教理は「主の祈り」、「使徒信条」、「教団信仰告白」です。毎週、言葉の意味をかみしめながら祈り告白しましょう。それが揺るがぬ信仰の土台になります。使徒16章でパウロとシラスが投獄され賛美をし祈っていました。今なら、この二人はきっと賛美と祈りと共に、「主の祈り」、「使徒信条」、「教団信仰告白」を口にしていたことでしょう。
創造の神であり、救済の神でもあるこのイエス様を信じて進んでまいりましょう。