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創世記1章3~13節

「・・・神は仰せられた。『地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。』すると、そのようになった。地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第三日。」

メッセージの要約

  天地創造は、神が単独でされたことの様に覚えている方も多いのではないでしょうか。天地創造3日目の地の植物の創造には、被造物も参加しています。神が地に命じる(「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」)と、地は命じられた通りに行いました。この天地創造から、創造主と、被造物の関係が見えてきます。創造主は、被造物が命じられた通りに行ったことを見て、「良し」とされます。これが、創造主である神と被造物の最初の関係でした。
 聖書は科学書ではありませんので、現代科学のアプローチとは異なります。創世記が伝えようとしているのは、神はどういう方であるかということ、被造物とどのように関わっているのかということです。天地創造の記述を見ると、神がする事には計画と秩序があり偶然ではないこと、被造物は神に従ってこそ、良い結果を得られることが見てとれます。神の計画は、はじめに被造物を入れる器を作り、1.宇宙、2.空と海、3.地の順番に創造の最初の3日間で造られました。後半の3日間でも、同じ順番でその中のものや生物を造られました。そして、創造主に被造物が従う秩序。この計画通りに進んだとき、各々の創造の終わりに、神は「良し」とされ、最後に全体を「非常に良かった」とされました。ですので、神が天地創造で良しとしたのは、7回です。
 神と被造物のあるべき関係は、昔も今も変わりません。被造物である私たちが神に従うとき、私たちは良しとされて平安があり、神は喜ばれます。現代の私たちに神が求めていることは、キリストの血潮の力による神の招きに応え、神の元へと帰ることです。神の造られた天と地の中にいる私たちは、いつでも、どこでも、どんな状況においても、神の元へ帰り、「良し」とされることができます。