申命記7章6~7節
「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。」
メッセージの要約
主なる神は、アブラハムを導き出し、ヤコブ(イスラエル)一家をエジプトへと送り、そこで彼らを増やしてイスラエル民族とし、モーセを用いてエジプト人の奴隷から救い出し、神の民としました。主は救い主イエス・キリストを世に送り出すためにこの民族を選び、その中からイエスを誕生させました。
主がイスラエル民族を選んだのは、彼らの数が多かったからではありません(7節)。数が多いことは、強さを表します。特に兵器や文明に力の差が少ない場合は、数の差は、そのまま強さの差となります。主がイスラエル民族を選んだのは、むしろ最も数が少なく、最も弱かったのに、主は彼らを選び宝としました。
主はご自分の計画のため、最も弱いもの、力の無いものを選びました。だからこそ、その計画が預言通りになった事は、選ばれたイスラエル民族の力によるのではなく、主の力によることが明確になりました。そして、それが明らかになるとき、主の栄光が表されます。
現代の私たちが選ばれる基準も同様です。「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。」(ヤコブの手紙2章5節) 私たちは、神の使命を全うできないと落胆し、理想と現実の差に失望してしまうことがあります。しかし、私たちはもともと自分の理想のようには歩めません(ローマ人への手紙7章24節)。
私たちの社会では、有能な人が重宝されます。しかし、神の選びはそうではありません。神の願いは、自分を縛る様々な基準から解放され、神の御心を探り、神の力によってそれを行うことです。今日、自分の理想に縛られていることは、ないでしょうか?