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ヨハネの福音書21章1~13節

「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。』そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。それで、イエスの愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。・・・彼らが陸地に上がると、そこには炭火が起こされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい。」と言われた。シモン・ペテロは 舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚で一杯であった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。」

メッセージの要約

イエス・キリストが生きておられたことは、弟子たちにとって大きな喜びでした。けれども同時に、自分の弱さを思い知らされ、無力さに打ちひしがれたのも事実です。そんな弟子たちに主は、神による恵みの業を再びあらわしてくださいました。
ペテロが「私は漁に行く」と言ったとき、彼はイエス・キリストと出会った時のことを思い出していたはずです。その日、一晩中漁をしても魚は捕れず、岸で網を繕っていたとき主に声をかけられ、主を舟に乗せてそのことばを間近で聞いたのです。そして「舟をこぎ出して網を下ろしてみなさい」と言われ、その通りにしたところ、たくさんの魚で舟が沈みそうになったのです。彼にとって、これが網を置くきっかけであり、忘れることのできない特別な体験でした。おそらく何度もいろんな人に話したはずです。その彼が、置いた網を再び手にして漁に向かったのです。しかし主はペテロの心を知っておられ、必要を備えてくださっていたのです。岸辺からの声に従って網を下ろしたところ、引き上げることができないほどのおびただしい数の魚が網にかかったのです。ペテロは一人飛び込んで岸に向かいます。舟にいた仲間や、たくさんの魚の入った網を置いて、声をかけてくれた人に向かったのです。
わたしたちはどうでしょう。神を知り、イエス・キリストの救いを知っていても、自分につまずき、その力ある業を忘れてしまってはいないでしょうか。主は何度でも、わたしたちに近づき、声をかけてくださいます。
あなたにとっての百五十三匹の魚はなんでしょう。神は生きておられ、わたしたちを愛し、一人一人に分かるようにその御手を伸ばしてくださっています。わたしたちも主の手を見出して、近付こうではありませんか。