テサロニケ人への第一の手紙5章16~22節
・・・いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。御霊を消してはいけない。預言を軽んじてはならない。・・・
メッセージ要約
この手紙は、パウロ達が伝道旅行をしている間に書かれたものです。使徒の働き17章でパウロ一行はテサロニケを訪れ、18章以降に、テモテがテサロニケのあるマケドニア地方へ遣わされています。パウロはテサロニケの人達とのやり取りで励まされ、宣教の力を得ています。
パウロは手紙の中で、改めて上に書かれたみ言葉のように勧めていますが、私たちも同じように教会で言われてきたのではないでしょうか。しかし、いつも喜んでいなさいと言われても、喜べない事があります。どうしたら喜べるのでしょうか。
パウロは後に書いた手紙、ピリピ人への手紙3:1、4:4では、『主にあって』喜びなさいと書いています。この箇所も同様で、主にあって・・・と、勧められています。逆に言えば、主によらずに、頑張って喜ぶことを神は求めていません。
主にあってとは、主の犠牲、復活、昇天、再臨は自分のためであったと信じていることです。その先には、自分の復活と、永遠に主と共に歩む恵みがあります。その希望を確信するとき、平安があるのではないでしょうか。
しかしそれは、将来の恵みを期待して、今は耐えなさいというものではありません。将来の恵みを見るなら、今の状況を喜ぶことができるようになる。というものです。
それでも、自分の中からは不安と不満が溢れ、罪を犯してしまいます。それらは、御霊を通して神に訴え、悔い改めます。御霊は決してそれを拒まず、寛容をもって聞かれます。
御霊に祈り、聞かれる体験があるとき、人に寛容になり、平和になることができます。そのようにして、『あらゆる形の悪から離れ』(22)、いつも喜ぶものとなれるのではないでしょうか。
攻撃してくる人と平和であることは難しいですが、状況に応じて神は力を与えて下さいます。また、そうでないときには、逃れる道を備えて下さいます。