箴言1:1~7

『主を恐れることは知識のはじめである、愚かなものは知恵と教訓を軽んじる。』(1:7)

メッセージ要約

 今日の礼拝に集まってくださった方は、広い意味で亡くなった兄弟の身内です。私たちは、身近な人が亡くなると、生きる事、生きていた事の意味を考えるようになります。生あるものは、互いに影響を与えます。それは、命が生まれたときからはじまり、亡くなった後も続きます。影響を与えることが命の使命であり、その使命は一生を超えて続きます。意識して影響を与え、伝えることが、教育と言われます。
 聖書には、世界を創造した神が、人に伝えたいことが書かれています。その中にある箴言は、世界で最も知恵があったソロモン王が残した言葉で、知恵と正しい事と悪い事を、教えや教訓として伝えています。そこに、はじめに知るべきことは、『主を恐れること』だと書かれています。世界とその中にあるもの全てを創造した主である神は、命を与え、命を取られます。その神を恐れ敬うことが「知識のはじめ」だと伝えています。この神は、創造した人を愛しています。何かができるからではなく、むしろ、道に迷い弱いからこそ、存在すること自体に価値があると伝えています。この愛は、主を恐れて愛さない人には、分かることができません。聖書の神を信じている人は、ときに忘れることがあったとしても、この愛が心に刻まれています。
 命を与えられた者の出会いは偶然なのでしょうか。影響を与え合う出会いを偶然と思うかどうかは、主を恐れているかどうかによります。全てを創造した神を恐れるとき、その出会いが偶然ではなく、愛の手に導かれている事が分かります。
 聖書の神は、神を愛する者は審きの日に復活し、再会すると教えています。その神は、恐怖を持たずに近付きなさいと、いつも手を差し伸べています。その手を掴むか払いのけるかは、それぞれの選択ですが、神を恐れるものには再会の希望があるのです。