ヨハネによる福音書20章24~29節(口語訳)
『・・・ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」というと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。・・・イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。』
メッセージ要約
例年であれば、夏休みには帰省し、家族や友人と会話する機会が多い事と思います。そのような時、聖書(キリスト教)は科学的なの? という質問を受ける事があります。また、同じ疑問を持っている方もいるのではないでしょうか。今日は、この質問についてどう答えるのか考えて行きましょう。
1.聖書は科学ではない
聖書は宗教であり、科学ではない。。また、他の宗教の答えを聖書に求めても、視点が異なるため答えはない。という答えに、納得する方は多いようです。
2.科学は宗教ではない?
世界で最初に造られた古代の大学は、1167年に創立された英国のオックスフォード大学です。そして最初にあった学部は、神について学ぶための神学部でした。そこから派生して、哲学や自然科学など、他の学部ができて行きます。それらの学問は、神をより深く知るためのものでした。科学は自然を第2の聖書として、自然から神を知るために発足しました。現代の科学は神を排除していますが、科学の発足は神を知るための宗教でした。
3.科学の限界
科学の基本は、繰り返し観測できる事象の原因や理由を探る事です。繰り返し観察する事のできない、天地創造や死人の復活について調べることは困難です。トマスがイエスの復活を信じなかったのは、科学的な態度であったと見る事ができます。神を抜きにしたこの世の知恵では、神を見出す事はできません。ですから私たちは、イエスと出会い信じるように願い、福音を伝える役目を持っているのです。