『・・・しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。しかし、だれかが神を愛するなら、その人は神に知られています。・・・たとえ、神々と呼ばれるものが天にも地にもあったとしても、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、この神からすべてのものが発し、この神に私たちは至るからです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、この主によって私たちも存在するからです。・・・・・』
コリント人への手紙 第一 8章1~6節(新改訳2017)
暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。オリンピックの熱戦が進むと同時に、コロナの感染も広がっています。そのような中、揺るぐことのない土台を持っている私たちが、神の平安によって人々に安心と慰めを与えることができることは幸いです。それは、私たちに与えられている信仰が、この世の価値観によって判断されるものではなく、私たちと一緒にいてくださる神を知ることによって与えられる「安心」を土台としているからです。ある人はこの世の偶像や社会の規範と神を対比しながら、自分の信仰を守ろうとします。けれども私たちは、この世の創り主である神の前の姿が問われているだけなのです。しかも神は、私たちに聖さや正しさを求めておられるのではなく、神を信頼し、「神はわたしたちの罪を赦し聖くすることのできる」と信じる信仰を願っておられるのです。けれども、人にはそれぞれ異なった性格が与えられており、物事の理解もそれぞれです。だからこそ、自分の理解を唯一の正解とするのではなく、神がそれぞれに愛をもって導いておられることを信じ、私たちも人々の弱さや破れ口に立ち、主がわたしたちにしてくださったように、その破れを繕う者としてくださることを感謝しようではありませんか。